2018年04月26日

昌幸メソッド(天職の見つけ方)

うちの旦那様は「躁ウツ病」歴が長いです。
大学生のある日、下宿先のアパートから一歩も外に出られなくなったその日から、
自己再発見のなが〜い道のりを歩んできたようです。
めっちゃ苦しみながら、社会での自分の居場所を作って来たのだから、
似たような苦しみを持った人に優しいかといえば、
案外、ウツっぽい人に冷たかったりします(^^;)
「近親憎悪」といって、自分と似ているからこそ憎く思う、
本人曰く、自分の「いやーな」部分を相手に投影してしまい、
「そっち」に引きずり込まれてしまう恐怖にかられるそうです。

諸学説によりますが「躁うつ」は病気ではなく、気分の上がり下がりが激しい人、
という考え方もあるようです。
私からみると、やはり、上がり下がりありまくり、です(笑)。
治す、とか治る、とか考えず「こういうキャラクターの持主だ」と思って、
私は共に歩んでいます。
夫婦で日々、躁ウツの「波乗りサーフィン」している感じです。
こんな風に書くと綺麗ごとですよね。
もちろん、ダンナさんの鬱状態が長い時は「私はどうしてこの人と結婚したのでしょうか?」
と自問することもあります!(笑)。
でも、どんな夫婦にだって、晴れの日、雨の日、曇りの日はあるのではないでしょうか?

そんな不器用な私たちが七転八倒して、自分達の居場所を作りました。
それが、「ゲストハウスほどほど」です。
サラリーマンに向かない、協調性がない、でも社会と関わり、認められたい。
生きていくためには、最低限の収入はやはり必要です。
自らの緊急雇用対策として、彼は悩んだ末に藁をもすがる思いで宿を始めました。
ひょっとして「天職」みつけた?
相変わらずの「波」はあるものの、結果的に今、彼はシアワセに宿を営んでいます。

躁転したある日、彼は自分が宿を始めた時のポイントをこんな風に整理していました。
(旦那さんは「躁転」すると、すっごい饒舌になって「いいじゃん!」ってこと言うんですよ。
逆に、調子悪い時は「ぐでたま」みたいだから、同じ人とは思えないんだけど。笑。)
何かの、誰かの、役に立つのでは!?と彼の言葉をメモってみました。

■昌幸メソッド(天職の見つけ方)
・やってて苦にならない、愉しいことを5つぐらいリストアップする。
・それを必要としている人がいる場所、もしくは、それをやっている人がまだいない場所をみつける。
・それでもうかる仕組みを作る。 
 (ヒント;ゼロから産むのは大変!売れているもの=必要なものを「いいもの」にする。 by田中優さん)

<してはいけないこと>
 承認欲求を、金で買ってはならない(例;ブランドの靴やバッグ、高級車など)。
 なぜなら、買うとずっと買い続けなければならない。(どんなものも1か月経ったら「あたり前」になる。)
 「〇〇さんスゴイ〜」=承認欲求を満たされる
 金で買うと、次は「もっと高いもの」を買わないとスゴイと言ってもらえない=承認欲求が満たされなくなる。
 モノを買い続ける、魔のループに陥る(際限がない)。

私は天職を得たいと、ずっと思ってました。
恥ずかしながら多くの自己啓発本も読み漁りました。
なんか「突き抜けられない」毎日。
好きなこと、やりたいことはとりあえず一通りやってみました。
海外移住もしました。
・・・満たされない。
船旅で世界一周もしました。
パートナー(今の旦那さん)を得ました。
嬉しさと、タイヘンさを同時に手に入れました(笑)。
エネルギーとお金に依存しない暮らしを学ぶべく、弟子入りなんかもしてみました。
結果、私は未だに天職とは何なのかよくわからないのです・・・。
が、今、私は「ほどほど」にシアワセです。
自分がシアワセだと「天職とはなんぞや?」なんて全く考えなくなります。
当たり前ですが、ゴールは「自分がシアワセになること」です。
天職を見つけることにだけに囚われていると、本質を見失うかもしれません。
そうか、私はシアワセになりたかったんだな、と改めて思います。

ひとは「承認欲求」を満たされるとシアワセを感じる生き物ではないでしょうか?
(例;フェイスブックのいいね!)
「天職」という言葉に、かくも影響力があるのは、
一日の圧倒的な時間を費やす「仕事」で承認欲求を得るのが最も効果的だから、でしょうね。

かくいう私も、「ゲストハウスほどほど」があってよかった、と言って下さる方がちょっとずつ、
ちょっとずつ増えてきた。
それが何より私たちの自信につながり、承認欲求を満たしてくれているのだと感じています。
認めてくださったこと=「ありがとう」の言葉に、心からのシアワセがある。
(しかも収入も得られる・・・(^^;)。)

天職探しに縛られているアナタ!
仕事にばかりとらわれず、生活に目を向けて、「どういう場所に暮らしたい?」とか、
「好き」ばかりに目を向けずに、逆説的に「苦しみ」を取り除く方法を考えるとか、
(私は開業前の無職が苦しすぎて、働きに出て、心の平和を取り戻しました。今もその仕事を続けています。)
自分の性分の見極めも大事。
あとは、「本気でシアワセになる」と腹をくくって、行動して、
他人の眼とか、世間体とか、親の期待とかかなぐり捨てた先に、きっとあなたの承認欲求を満たすものがあるはず。
それは、仕事ではないかも?、パートナーとの出会いで解決できる話ではないかも?、一体何なのか?
人によってシアワセの形が違うから、何ともいえないけど・・・。
やっぱり、動くしかないね!

無責任に書きなぐった、ゲストさんの居ない朝の徒然でした。

<追記>
承認欲求を軸に、このブログ記事を書いた直後に、友人のカズミさんのブログ記事を読んだ。
ごろ寝発電−A Whole New World

したら、「比較と承認欲求と特別な何かでなくては、という古い時代は終わりました。」と小気味よく論破されてました(笑)
FBにコメントしたら、
「これはマジで言い切れるよ。ガンダーラに行かなくてもここがガンダーラだからね。」とのステキな返事。
正に、チルチルミチルの「青い鳥」をカズミさんは説いてるわけだ。
でも、自分の道を歩くしかない、という結論付けは私の「やっぱり動くしかない」と同じ。

<以下、カズミさんのブログ転用>
「道を知ってるだけ」になんの意味があるというのだ。
「道を歩く」ことにしか意味はないよ。

自分のど真ん中だけを信じて歩く。
誰とも違う、だけど平凡でありふれた、それぞれの素晴らしい日常。
<転用ここまで>

「シアワセになる」と腹をくくって求め、行動した先に、「それぞれの素晴らしい日常」があり、「そうか、この日常がシアワセなんだ」と比較や他者からの承認ではなく、自ら気づけることが大切である・・・と。
以上は勝手にわたしなりの解釈ですが、ちょっとスッキリしました(*^_^*)。
posted by nana at 08:25| Comment(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする